kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

諦めも選択の一つ

 終わりかけ木曜日。

 気が付いたら今日がもうあと25分しかない。早すぎる。

 木曜日だし頭もボヤっとしていて、この状態でどのくらい書けるのかなって感じ。

 

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 今日もいつも通りな感じでしたが、急遽人と話す機会がありましたね。久しぶりに人と会話した気がする

 自分から話すのは難しいですが、人の話を聞くくらいだったらいくらでもできます。今日もそんな、苦に感じることなんて無かったですね。

 

 親子で気が合わないっていうケース、結構面倒ですよね。

 私もあんまり親とはそりが合わない所がありますが、今日聞いたお話も大体そんな感じ。親が子に言う「ちゃんとしなさい」ってワード、久々に聞いたな。笑

 

 私は親になったことがないから親の気持ちなんて何にもわからないけれど、子が鬱陶しく感じることでもきっと大体が親にとって只の”善意”なんだろうなって想像しています。そこが非常にタチの悪い所でもある。

 今日聞いた「ちゃんとしなさい」もきっと、親がそのことを絶対的に正しいことだと思っているから発せられる言葉なんだろうなと想像する。そしてそれはあくまで親の価値観で、子がどう思っているかなんてそこには何の影響もしない。

 たとえ反発を受けても、それが正しいと思っているからこそ揺るがない。聞く耳を持たない。持つ必要が無いと思っているから。

 

 まぁそんなのは私の妄想に過ぎませんが、実態はどうなのやら。

 親が子に理想を抱いているのと同様に、子も親に理想を抱くことがある。そして、こうあるべき、こうあって欲しいと願っていても、人はそう変わらないから望むような展開にはならない。人によってはその過程で疲弊してしまう。

 たとえ親子だったとしても、どうしても性格が合わないということはあり得る。あり得ないと考える人もいるのかもしれないけれど…そんな人は嫌だな。

 

 諦めという選択が良いことなのかどうなのか、なかなか断言はできないけれど選択の一つとしてはアリだと思う。

 人減そう簡単には変わらない。どんなに願ったって説得したって何も変わらない。そんな可能性がある中で理想を追い続けるという行為は、場合によっては地獄のような道となる…気がする。

 諦めてしまえば理想は叶わないけれど、それ以上に「地獄のような道程で疲れ果ててしまう」リスクを回避することはできる。ノーリスクノーリターン、みたいな。

 

 もちろん、改善の余地があるというのであれば努力するというのも手。というよりもそれはむしろ努力する価値があるように思う。

 けれど一方で諦めるべき時もある。割り切るべき時もある。

 そういう判断を上手いことできれば、色々と考え込んで抱え込んでしまいがちな人でも気楽に生きることができるのかな、なんて、今日話を聞きながら思いましたとさ。

 

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 今週もあと一日。明日を乗り切ればまた土日です。

 どうしても木曜日ってぐったりしがち。もうひと踏ん張り、頑張れたらいいな。