適応を目指して
時間が余らず木曜日。
今月中に仕事を片付けるべく今日もお残りになってしまいましたのであっという間に23時。時間が無い。
明日も明日で日記は日を跨いでからになりそうですが、まぁ仕方ないか。
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今日は特に何も無いな…。
朝から晩まで作業に追われて終わっただけですから当然です。
やっぱり全く未知の業務というのは難しいものですね。任されたことはどうにかこうにか消化しておりますが、何かと分からないことが多いし慣れない。
言葉があんまりよく分かっていない(実態と正しく紐づけられていない)から、説明を聞いてもちゃんと理解できている時とそうでないときとがあって、後になってからあるきっかけで認識祖語に気が付いたりもする。
そういうもんだよな、とは思いますけれどやっぱりなるべくなら失敗したくないところ。そういった気持ちが作用するとちょっとしたストレスにはなります。
最初から100%の理解を目指す…ということを私は基本的にしないので、説明を受けている時にあんまり理解できない部分があってもとりあえず最後まで聞く。それで実際にやってみながら理解できていない部分を見つけ、補っていく。
そういうスタンスを間違っているとは全く思わないのだけれど、そうすると上手く行かない瞬間というのがほぼ必ずどこかに生じる。それが致命傷になるような場面ではさすがに慎重さを徹底するけれど、そうじゃなければ、っていう感じ。
口頭の説明を覚えるのが苦手である以上、手元に残るマニュアルみたいなものが徹底されているような状況でない限りそうするのが効率的になる。良し悪しはともかく…。
今の職場、口頭でのサラッとした説明で済ましてしまうことがまぁまぁあるんですよね。あんまり文章に残さないというか、もしかしたらそもそも向こうが読み書きをそんなに得意としないのかもしれません。
どちら側の立場としても似たようなことはよくあるものだけれど、逆にこちらが丁寧に何か書き残しても全然読み取ってくれないことだって普通にある。
私は結構しっかりとした緻密な文章を理解しやすいと思う方(らしい)のだけれど、全くそんなことない人も世の中には多い。分かりやすさ以前に、長ったらしく書かれた途端に全部読むことを諦めちゃう人だっているもんね。
ベストな振る舞いは恐らく「相手のレベルに適宜合わせること」なのだと思うのだけれど、実際にはなかなか難しい。それを上手いことやる人も世の中にはいるけれど。
じゃあ逆に相手が合わせてくれるか?ったら、実際あんまりそういうことって無いもの。合わせるなんて発想自体が毛頭ないという人もいらっしゃるかもだけど、ある程度は、それが難しいということを示してくれているような気がする。
そうして個性が現れるからこそ「あ、この人は頭の回転が速いから数歩先まで話がすっ飛ぶんだろうな」とか「この人はせわしなくあちらこちらへ切り替えてもついて行けるんだろうな」とか、何かしら察する場面もあるわけで。なんとも言い難いな…。
まぁ、大局的に見れば結局は適応力なのでしょうか。
自分の素とカッチリ合う環境に飛び込めればそれがイチバンだけれど、そうじゃない時には適応力の有無がものを言いそう。どこにでも馴染めるか、馴染めないか、みたいな話になるのかな。
常に自分が相手に合わせてばっかりっていうのは疲れちゃうから良くないと思う。けど、やっぱり「いざって時に相手に合わせることが出来る」に越したことはないよな、って思う。役立つ場面が必ずどこかであると思うから。
なんにせよ、早いとこ色々吸収して余裕をもって立ち回れるようになりたいですね。
心の余裕って大事ですから。なるべく早くにそれが得られるよう、できる範囲で日常を成長に繋げていかないと。
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明日、どうなるんだろうな。
顔見知りがほとんどいらっしゃらない飲みの席…。もしかしたら酷く消耗しちゃうかもですが、その先はお休みですし気持ちだけでも気楽に臨みましょう。
ゴールデンウィークまで、もうひと踏ん張りです。