kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

時間が欲しい

 なんとも言えない火曜日。

 仕事がなかなか捗らず、久しぶりに遅くまで作業していたような気がします。まぁまだリミット切られていないので任意なのですが…。

 今日もそんなに面白いこと無かったけれど、どうしたもんかな。

 

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 土日の諸々があったのでスプラも少しちゃんと触るようにしようかな…なんて思って過ごしていたら、当然なのですがより一層時間が足りなくなってしまいましたね。

 本当に1日30時間くらい欲しいですよ。切実に。笑

 

 私自身そんなに器用じゃないといいますか、やっぱり何事も上達するには「やり続けるしかない!」みたいなところがあります。

 というよりは、逆に触れない期間が少しでもできてしまうとみるみる下手になっていくと言うべきか…。ゲームで言うなら、遊び続けているうちはそれなりの練度まで持って行けるのですが、一度やめてしまうと遊ぶ以前のレベルまで再びすぐに落ち込んでしまう。

 やらなければ多少鈍るのは当然だと思うのですが、なんかそういうレベルじゃないんだよな。人より失われていくのが早いような気がする。…気のせいかもしれないけど。

 

 そういう前提を置いた時に、この限られた時間をどう使うかってのはとても悩ましく思いますね。いつものことですが…。

 そもそも娯楽に時間を費やすのかどうかってところも問題ですし、娯楽に費やそうと決めてからもじゃあ何に費やしていくのかみたいな選択が続くような感じ。

 なんとなく「選択」ってあんまり得意じゃないから、何とも言えない難しさを感じますね。

 

 全部に手を伸ばせるくらいの時間があればよいのですが、どんなに他のことを削ったとしてもどう考えても足りないです。諦めるしかないですね。笑

 こういう時だけは本当に、色んな物事に興味を持つのも考えものかもしれないなぁなんて思ってしまいます。

 そもそもやりたいと思わなければこの切り捨てる苦しみは~…みたいなヤツ。これってあんまり良い考え方だとは思えませんけど、それでもついついちょっとだけ思っちゃいます。

 

 実際のところどうなんでしょう。やりたいこと自体がそんなに無くて1つのことに集中できている人と、あちこちに関心が向きながら取捨選択を繰り返している人、どちらが幸福度が高いのかどうか、みたいな。

 もしかしたら既にそういった研究とかされているところもあるのかもしれませんが、私だったらどうだろうなぁ。隣の芝生論なのか前者が意外と良さそうに思えますが…。

 

 ちょっぴり論点のズレはありそうですが、子供の頃の私なんかは今思えばだいぶ世界が狭かったですね。

 そもそも選択肢を知らないといいますか、与えられた限られた環境の中で面白いと感じることに時間を費やすような感じ。今思えばすごくなんとなくでゲームを遊んでいたような気がする

 同じゲームを何度も遊ぶのも楽しかったし、やり込み系のゲーム(牧場物語とか)も疲れるまで永遠に遊べていたなぁなんて回想します。アレはアレで楽しかった。

 

 極論を言えば、結局「幸せ」なんてものは相対論で、より幸せな世界が仮に何も見えていなければ現状に不満を抱くことなんて無いんじゃないかなぁなんて思っちゃう。

 

 今でこそ自宅に居てもネットの海にさえ旅立てば色んな世界が見えるわけですが、子供の頃はそういうツールが手元に無かったし、当時の現状を当たり前のように受け入れていた節が実際に私にはあります。

 夜更かししないのも当たり前だったし、ちゃんと早起きして学校行くのが当たり前だったし、授業中寝ないのも当たり前だったし、あわよくば学年1位を狙おうと頑張るのも途中から当たり前だった。本当に"なんとなく"で結構しっかり生きていた気がする

 今だったらそんな生活だるいなって思っちゃうのですが、当時は途中まで(※)それほど疑問もなく普通に頑張れていたんだよなぁ。不思議なものです。(※高3終わり辺りで狂ってきた記憶)

 

 そして大人になった今、正直生き方なんてものは本当に色々あると思います。

 どのくらいを望むかにもよりますが、そんなに贅沢を言わないのであれば本当に選択肢は広いと思う。色んな道筋がある。

 この男はこの先、どんな選択を積み重ねていくんでしょうね。わかんないや。

 

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 うーん、時間が足りない。もう少し早くに書かないとダメですね。

 このブログ自体そんなに真面目なものではないですが、あんまりしっかりしていないのもそれはそれでちょっと気持ち悪くてな。いい流れ(?)を取り戻したいですね。

 

 とりあえず仕事もどうにか頑張らなきゃだし、今日はもうおとなしく寝ましょう。引き続き程々に頑張って日常を過ごしていきましょうか。