kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

若い時の苦労論

 6月の二日目。

 今日は過ごしやすい気温で、夕方とか換気したら心地よかったですね。このくらいの気温が一日中続けばいいのにな。

 なんて幻想が叶うことは無いので、今日も現実的に何か書きましょうか。

 

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 「若い時の苦労は買ってもせよ」っていう言葉がある。

 

 私は子供の頃からMOTHER2が好きだったのでこの言葉を昔から知ってはいた。けれど、思い返せばあまり買ってこなかったような気がします。

 勉学に関しては人より頑張っていたという自負があるけれど、そのほかに関しては劣っているだろうなぁって感じです。

 

 この歳になって思い返すと、結論から言えば、確かになるべく買っておくべきものだと思いますね。

 ただ、勿論「壊れてしまわない程度に」っていう条件は付きますが、ね。

 

 子供から大人になっていく過程で、身体的な「成長期」というものはよく言われるけれど、個人的には、「精神面な成長期」という意味合いも強調すべきだと思う。

 視覚的にはっきりと表れることはあまり無いから難しいけれど、子供の頃の日々の暮らしから無意識のうちに学んだり身につけたりする能力・技術というものは、大人になってからもバカにならないほど影響が大きいとと思うから。

 

 極端な例だけれども、私は壊滅的にコミュ力(発信力)が無い。

 それについて、一部は先天的な影響もあるだろうけれど、思い返せば後天的な側面も否めない、という実感が私の中にあります。

 

 早生まれだったせいもあるかもしれないけれど、私は幼い頃から人よりも喋ることが苦手で、恥ずかしくて、自然と無口な子に育っていった。

 そうしたら周囲からも「静かなおとなしい子」と認知されて、親切心からか周囲からフォローを入れてもらえたり、色々代弁してもらうような暮らしが定着していった。

 普通の人よりも「喋ることの経験値」を生活の中で積み上げてこなかった。

 その遅れってその先、普通に月日を重ねても埋まることは無くて、むしろ差は広がって行って、気づいた時には一部の友達以外とはどう喋ったらいいのかわからない少年になっていた。

 自覚して、改善しよう!と思い立った日以降、少しずつ改善はしたけれど、それでもまだまだ劣っているなぁと思う。複数人での会話とか全然参加できないや。

 

 また、それと関連して電話も大の苦手だった。とても嫌で怖かった。

 だから大人になるまで電話で誰かと話すということを全然してこなかった。とにかくそういう機会から逃れられるよう上手いこと立ち回って、ことごとく避けてきた。

 そして今、大人になってからも電話が怖い。具体的に言えば、いつもの床屋に予約の電話をかけることでさえ、発信するまでに5分から10分かかる。笑

 

 自己主張もしてこなかったので、今も自己PRだとか、周囲より目立つようあえて振舞うことだとか、そういうのは相当頑張らないと出来ない。入念な準備をもって、やっと人並みに届くか届かないかくらい。

 こういうのって結構、生きていくうえでかなり障害となってきましたね。学生時代は問題ないですが、社会へ出るときにしんどいです。子供の頃にも理解していたけど…。

 

 とまぁ自虐はさておいて、若い頃の「経験」ってものはあった方が良い。

 無きゃいけないものでもないし、具体的にどう役立つの?と言われても困っちゃうから、どうオススメしたらいいのかは正直分からない。けれど経験上、思わぬ形で役立ったり、逆に思わぬ場面で後悔したりすることがあった、というのは確か。

 だから、些細なことでもいいから少しだけ意識して積極的に生きてみることは強く推奨する。私はね。

 

 それに「若い頃」って、失敗のダメージが比較的少なく済むことが多いんだよね。

 何事も上手く行かないことはあるし、どうしても「経験」に「失敗」というものは付き物となってくる。多かれ少なかれ。

 よって、そこも結構大事なポイントになってくると思う。

 

 誰だって若い頃だって、失敗はその瞬間ひどく辛いものだと思う。恥ずかしい思いをしたり、苦しい思いをしたり、場合によっては人に怒られることだってあるから。

 辛い気持ちはわかるし、実際に辛かったから私も逃げ続ける人生を送ってきた。けれど、子供の頃だからこそ比較的気軽に経験値を積める場面って結構あるものなのです。

 だって、例えば子供が電話でちょっと失礼な言葉遣いでも「仕方ないか…」って思ってくれる大人が一定数いるけれど、三十路のおっさんが電話応対もろくにできなかったら皆から白い目で見られるでしょう?(笑)

 そういう例って他にも結構あると思うのです。大人になってからの失敗って、そもそも求められるレベルが高かったり、場合によっては責任問題に発展しちゃったりもするから取り返しがつかないこともある。

 そこって結構、大きな違いだと思うんですよね。

 

 勿論、だからといって苦労を「強制」するのは間違っていると思います。

 誰にだって限界はあるから。そこを度外視して「~っていうだろ。だからお前は今のうちに苦しめ!」っていう大人はただのバカだよ気にしなくていいと思います。

 そこは無理のない範囲で、ね。

 だけど、苦しんだ分のリターンはこれからの長い人生でいつか得られるんじゃないかなと思うから、気持ち積極的に生きてみることは大事だと思いますよ。しょーもない大人になりたくなかったら、ということで。

 

 私自身を例にするなら、勉学に励んだことは要領よく仕事をしようとすることや論理的思考力に繋がっていると思うし、言葉に頼らず生きてきたことは人の気持ちや物言わぬ周囲の状況を察する能力に結び付いているような気がします。

 全く無駄になることってそんなにないと思うから。貴重な人生、何もしないよりは早いうちに少し苦労してみるのも、その先の未来で役立つかもしれないよね。

 今この瞬間は未来からどうすることもできないから。それこそ、タイムマシンでも作らなきゃね。後悔まみれの人生だよ、私は

 

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 今日、なんか急に触りたくなってカイロソフトのゲームを一つ買ってしまいました。黙々と遊び続けられちゃう中毒性がありますね、コレ。

 いや、これこそ何の役にも立たない無駄なことなのでは…それでいいのか…?(笑)

 

 タイムマシンがあるのなら、私は過去の自分に「もう少し頑張って喋って、少しだけ青春を楽しんでおけ」って伝えたいですね。「少しだけ」で十分かな。

 何も辛いことが無い人生も平和だけど、頑張ってみる人生も意外と悪くないよ。失うものもあるけれど、そうしないと得られないものもあるから。

 

 なーんて物思いに耽ってないで。おっさんはおっさんらしく前見て生きよう。