kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

親という存在

 一日って本当にあっという間だなぁ。

 今日も気付けば22時。さっさと書かないとまた寝るのが遅くなってしまう。そんなに気分も乗らないから、軽く書いて終わりにしようかな。

 

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 少し前に「親ガチャ」とかいうワードに各メディアが食いついてちょっと話題になった気がするけど、親って本当に色々だよね。

 わが子をリスペクトして愛情込めてのびのびと育てる親がいる一方で、自らの固定観念を子供にまで強制するように、時に厳しく、時に残酷なことをしてしまう親もいる。

 加虐行為に快感を覚える一部の変態は別として、多くの親にとってわが子は大切なものだし、大事に思っている。けれども、それがどういった形となって表面化するか~ってのは、本当に人それぞれなんだと思う。

 

 フィクションなんかでもありがちだけど、子供にとっては望まない選択であるにもかかわらず親にとって「大正解」である選択をわが子に強制し、結果として大きな反発に結び付いたり、子が闇を抱え込んでしまったり、といった話はよくある。

 具体的に何か挙げるなら、例えば親が「学歴があればわが子の人生は豊かになるに違いない!」という思想を持っていれば、人によってはきっと子供に対して英才教育を施したり、「勉強しなさい!」の雨あられを降り注がせたりすることがある。「あなたのためを思って言ってるの」なんて言葉も添えて。

 親にとっては「わが子を思って」の行動だったとしても、子供にとってそれが必要だと思えなくて「苦痛」でしかなかったら、そんなものは受け入れられない。

 そういった話って、いつの時代にも溢れているんじゃないかと思う。

 

 どうあるべきかってのは難しい話題だし、得体の知れない各種専門家さんがいろいろ語っているだろうからわざわざ言及しないけど、難しいよね。

 個人的には、子供を下に見るんじゃなくて、一人の人間としてリスペクトするような形が好きではあるかな。さすがに幼い頃から責任の追及だとかまで行くのはやり過ぎだけど、あんまり「子供扱い」というものが好きじゃない。

 まぁ、これもある種、私の「親への反発」なのかもしれないけどね。

 

 「毒親」って言葉もいつからかちょこちょこ聞くけど、あれって大抵が無自覚なのよね。親にとって悪気は無いってケースが多くて、だからこそタチが悪い。

 今の時代ってもうほとんどが核家族化していて、その中でもしも親子間のきつい上下関係が確立していたとしたら、子供にとっての逃げ場が外部にしか無いということになる。

 それって場合によってはとても辛いことだと思います。もちろん外部の人間関係に恵まれていれば救いはいくらでもあるかもしれないけれど、みんながみんな、そうじゃない。

 例えば、「いじめ」なんかとそれが重なっちゃったら、もう最悪だよね。

 

 外部との関わりがあるかどうかってのも大事かもしれないね。

 仮にある一家がとても極端な思想を持っていたとして、もしも他所との繋がりがあれば交流の中で「あれ、ウチって他と違うのか?」って気付きを得るチャンスが生まれる。

 しかしながら、外部との交流がなければきっと気づけない。井の中の蛙と似たような感じでしょうか。わざわざ「自分ってオカシイかもしれない」なんて自発的に思考する人なんて僅かでしょう。笑

 

 うーん、そういう学問を専門にしている方々はこういうことを議論するのかな?

 今、完全に思い付きでつらつら書いていますけれど、ガッツリ突き詰めていくと結構面白いのかもしれませんね。そこまでしないから私はすべてが中途半端

 

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 昨日最後にチラッと書いたけど、今日連絡とってみたら元気そうでした。

 まぁ元気なのは何よりですね。安心したし、気長に続報を待とうと思えました。

 

 それと、身近に何でも話せる存在があるかないかってとても重要ですよね。

 私なんか今は一人暮らしで友達も近所にいないですけど、例えば親と暮らしていてその親がとても話しやすい人だったら、それってとても素敵なこと。

 私の親はデリカシー皆無の話せばむしろ疲れてしまう存在でしたので、そういうの、とても憧れちゃいます。決定的な違いだよね。

 

 もし自分が家庭を持つ未来があるとするならば、少なくとも子供にとって負担にならない存在でありたいなと思う。

 

 いや、そもそもそんな未来、今は全く見えねぇな…。笑