kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

病むことへの想像

 もう5月も三分の一が終わってるんですね。時間って早い。

 

 今月に入ってから仕事以外で誰とも連絡を取っていない私ですが、今日はちょっと不穏なニュースが流れていましたね。

 無いとは思うけど、連絡を絶っている友人に心配されちゃったら笑うな。

 

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 今日は朝から某氏が亡くなったというニュースで溢れていましたね。真相はよく存じ上げませんが、ご冥福をお祈りいたします。

 こういうときって毎度の如く様々な意見が散見されますよね。個性が出て興味深いっちゃ興味深いんですけど、まぁ、あまり無神経なのは勘弁してほしいですよね。

 

 そんな光景を眺めて私が思うのは、こういう時は変な詮索をしないで静かに祈るだけにしない?…っていうところです。

 

 この文章を読んでる人に「私が今、何を食べたいか?」が分からないように、他の人のことなんて全部は分からないはずなんですよね。

 それなのに、何かすべてを分かっているかのように、断言するように何かしら強い主張を語ってしまっている人は、なんというか、どんな人なんだろうなって考えるとフフッてなりますね。

 ちなみに私は今、お寿司とケンタッキーを食べたいです

 

 「一般論」というものがあること自体は別に悪いとは思わないんですけれど、それをベースに良し悪しを決めつける~とかまで行っちゃうと、ちょっと行きすぎじゃないかなって私は思います。

 例えば「自ら命を絶ってしまうのは愚かだ」「死ぬ気になれば何でもできる」って、もちろんそう言えるケースだってたくさんあるでしょうけれど、全てに対してそれが言えるってことは無いと思うんです。

 同じような事象だったとしても、そこに至るまでの経緯…葛藤とか苦しさの度合いなんかって、その事象一つ一つによって全く別のはずなんですよね。例えば、当人がどういった性格の人で、どんな考えを持ちやすくて、どういったことがどのくらいの負担になるか~ってことだけでも、人によって全く違うはずだから。

 ですので、他人のことについて、よく調べもせず知りもせずに何かしら「断定」してしまう人に対して、私はちょっと「うーん…」って思ってしまいがち。それも個性と言えるかもしれないけどね。

 ま、そんな私も「慎重すぎる」と言われる人ですし何とも…。もちろん、当人のことをよく理解したうえで間違っていないと判断した大事な言葉であれば、それは悪くないと思いますよ。

 

 私自身、消えてしまいたいなって思ったことが人生で2回あります。

 これはあくまで私の場合なんですけど、その時ってホント、健康な時とは全く異なる状態になっていました。視野が狭くて、ポジティブな思考をしようと思ってもできなくて、周りの人が全て敵に見えて。

 

 深く病んだ経験のない人や心が強い人にはありがちなんですけど、「どうしてこんなことも出来ないの?」って考えを持ってしまう人が結構多いと思うんです。しかも悪意がなく、無自覚で。

 いや、人と場合によっては本当に、いわゆる「当たり前のこと」ができなくなるもんなんですよ。みんながみんなそうでは無いと思うんですけれど、一方で「そうなってしまう場合がある」っていうのが確かであり、重要。

 そのことを想像できずに心無い言葉を飛ばし続ける人が、この世の中には多分、かなり多い。むしろそっちの方が多数派なんじゃないかな、って思うくらいです。

 みんなが健康だったら全然大丈夫なんですけど、ストレス社会で、心を病む人が一定数いるこの世の中で、仮に身近にそういう人が現れた時にどうなるかって想像したら、まぁ色々と世知辛いだろうなぁ。

 わかってくれる人が近くに一人でもいれば違うんですけど、一人もいなかったらそれはもう地獄ですよ。私がそうでした。なんかもう、周囲にその気が無くても、病んだ側からすれば「すべて自分が悪い」みたいに言われがちですから。

 

 まぁ、そういうケースがこの世のどこかにあるかもしれない?ぐらいのことを頭の片隅に置いておくだけで、人との関わり方がちょこっとだけ変わると思うのです。

 願わくば周囲には理解者がいて欲しいものですが、なかなか世の中甘くないね。

 何も全員に優しくしろとは思いませんが、そういった「想像力」を持っている人が身近に多かったらいいな、とは思います。

 

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 なんだか微妙な話題に向かって行ってしまった…。

 一番なのは、みんなが元気で、望めば健康に暮らせる世の中であることです。それは理想に過ぎなくて、現実にはちょっと難しいですけどね。

 けど、そんな世の中にちょっとでも近かったらいいなって思います。

 

 最近ちょっと夜更かし気味なので、そろそろちゃんと寝なきゃ。