kreticent’s blog

生きるのが下手な男の手記。

標の模索

 5月も今日でもう20日か…。

 「20日」って書くと期間的には結構長く感じるけれど、実際はあっという間。

 残り10日ちょい、頑張っていきましょうか。今日は眠いので寝言書いて寝ます。

 

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 生きる意味みたいなものって私にとっては子供の頃から永遠の課題なんですけれども、みんなどう生きてるんだろうなぁ、ってよく思います。

 私自身のことを言えば正直、将来の楽しみも成し遂げたいことも何も無いという、いったい何のために生きているんだ状態だったりします。

 まぁ一時的に得られたこともあったんですが、それも泡と消えましたね…。

 

 先天的なのか後天的なのか分からないけれど、なんというか「自分が無い」みたいなところがあって、何をするにしても自分一人では原動力とならないみたいなところがあります。

 簡単な例を1つ挙げれば、人に教えるためだったらいくらでも熱意を持って勉強できますけれど、仮にそういうのが何もなく自分自身が学び成長するため~というだけですと、全然やる気が出ないです。

 たぶん多くの人にとって、そんな極端な違いが生じることは無いんだろうなと思うのですが、どうも私はこうなってしまう。

 

 生きることに関してもわりと同様だったりします、

 これまでを振り返ってみると、きっと「誰かのために」というような外的動機があるのならば精力的に活動できるのですが、逆に特に何も求められていないと何をする気力も起きない。

 全く無いというわけではありませんが、少なくとも長続きはしない、と言った方が適切かもしれませんね。

 仕事もそんな感じで、振られたタスクは全力でこなせますが、もし手が空いてしまうと一気に気が抜けてしまう…といったようなこともありました。

 良くも悪くも環境に左右されがちと言えるかもしれません。

 

 こういった自覚は昔からありますし、どうにか改善できないかなぁという思いも持ち続けておりましたが、現に今もこんな状態。

 そうなってくると、違うアプローチも考えたほうが良いのかもしれませんね。

 

 うーん…。直接ゴール(生きる意味)を模索するよりも、「自分にとって良い環境を整える」ことをまずは目指した方が現実的なのかもしれない。

 具体的には、やっぱり人間関係になってくるのでしょうか。

 例えばもし生涯のパートナーを見つけられたらそれはある種の理想かもしれません。が、いきなりそんな上手く行くことは無いので、そのためには〇〇、〇〇のためには××…みたいに、芋づる的ステップを模索することが現実的かな、などと思いました。

 

 例えば、そうだなぁ…。人脈を作るためには共通の趣味、共通の趣味を持つためにはそもそも何か趣味を見つける、みたいな?

 そういう「一見別物だけれども何か繋がるかもしれない」みたいな道筋を見つけられたら、壮大な最終テーマからは一旦離れて「じゃあ趣味作ろう!」だとか比較的気軽なステップに変換できるかもしれない。

 私は目的があった方が気力が続きそうですし、そこら辺ちょっと深く掘り下げて考えてみることが、今後生きる上で何か役に立つかもしれないな。

 

 あんまり打算的すぎてもよくない気がするけれど、何か打ち込むことを模索するっていう段階であればこういうのもアリかな。

 今度、ちょっともう少し考えてみよう。

 

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 今日は健康診断前の朝食を食べるために早起きしたからか、眠い!

 

 問診票は結局、いたって元気な感じになりました。実際、今は何の症状もないから。血圧と腹囲がちょっと増えてたのが気にはなったけど、結果どうだろうな。

 まぁ忘れた頃にならないと結果来ないし、気にしないでおこう。

 

 腹周りのぜい肉、落とさないとダメだよなぁ…。